2016年9月29日木曜日

印象こそ鑑賞方法

確か山崎正和のエッセイのはず。面白い話が載っていた。

ダ・ヴィンチがダビデ像を弟子に手伝わせているところ、パトロンの貴族が来て言った。


「ダビデはもう少し鼻が低い方がいいな」
 

イラっとした、ダ・ヴィンチは足元の石膏の粉を左手に、右手に金槌をもってはしごに登る。
 

そして金槌を使って、削るふりをしながら、左手の石膏の粉少しずつ落とした。
 

「こんなもんで、どうですか? まだ削ります?」
 

その言葉に満足したパトロンは帰って行った。
 

芸術を理解できるのは、芸術家であり、愛好家である。金を持っているだけの人には、わからない、というヨーロッパの文化に対する考え方を意味した寓話として紹介していた。
 

その点、日本の仏教は結構ゆるい。
 

そもそもチベットのタンカほど、図像に厳密なルールはなかった。(密教の図像はたくさん伝えられたが、それ以外は認めないという狭量なものではなく、結構なアレンジの余白を残した)
 

そこに表現の幅が生まれる。
 

現代、菩薩として伝えられているものの中には、大日如来のような宝冠をかぶってるのに、弥勒菩薩のように頬杖ついたり、観音菩薩のように花瓶を持っていたりする。
 

だから日本こそ、仏教の正統を伝えていると、保守的な言い方をする人に、なんとなく賛同できない。おまじないのように、色即是空は唱えるが、その空について中論を全く理解していない。すでにそれって、アレンジではないかと。
 

だから、逆に仏像の印象であれこれ語るのも、いいのではないか。
 

紫式部が奈良の大仏を、与謝野晶子が鎌倉の大仏を、美男子かどうかで判断しているのも、いいのではないか。
作り手はそれを考えて、作ったと想定するほうが自然なのではないか。
 

それをありがたいの、ありがたくないのと、周囲の受け売りで判断してしまう。それこそお釈迦さんが嫌った権威主義ではないか。
 

ちなみに私が一番の推し仏は、興福寺南円堂の無著像
 

「一回、頭冷やそうか」

と言われている気分になる。

インド料理屋で見つけたお釈迦さん。後光というより、お布施のライス、ウマー!   

2016年9月25日日曜日

完全犯罪的更新

テキストを作成する。

公開する時間を設定する。

公開を告知するツイートも、時間設定のメールで送信設定しておく。(Boomerang for Gmailを使って、時間送信をする。送信元メールアドレスをhttps://yabm.in/ で登録しておく)

そうすると、設定していた時間に記事が公開され、ツイートも入る。

犯行の時間帯に設定して、黒っぽい服装に着替えて、いざ凶行に及ぶ。ガツンとか、ブスッとか、バタンキューとか。

指紋を綺麗に拭い去り、帰宅して事件が判明する。関係者として事情聴取される。

「独りでいましたが、その時間は自宅でブログを更新していました」

田村正和に問い詰められても、いけしゃあしゃあとそう答えるつもりだ。きっとブログの更新とか、理解するのが面倒くさそうだから、手間取るに違いない。(何回か、あのくどい口調で、問い詰められるとしんどいか)

誰を殺すか予定は今のところないが、アリバイを工作するなら、こういう段取りである。

ツイートをメールで投稿できるというのは素晴らしいアイデアである。

結構、面倒臭いが、臭い飯を食わされるよりマシである。

殺人のアリバイに使うようなことにならないといいけど。
(ここまで書いて、このテキスト自体が、犯行の証拠になるのではないかと実は心配になってきた。当分、殺人の予定は立てられない)

あかんかなぁ。。。田村正和にバレなくても、バカ笑いせんかったら、いけるような気がするんやけど。

2016年9月18日日曜日

小銭は落ちていない

商品を一割引すると言われると、面倒臭いのに、ごめんなと思ってしまう。

心持ち、割引してくれているのに、その気持ちにもう一つ応えられるほどテンション上がってなくて、ごめんな、もある。

ところがポイントカードとなると、話は違う。大手の電化製品の店で、フリクションの中身を補充しようとレジに並んだ折、ポイントで支払うとうなづけば、タダでくれてやるというのだ。

もともと値段交渉をする風土があったらしいが、ほとんどそういうものは見かけられなくなり、今やこのポイントである。

味をしめて、他のポイントも貯めることにした。ウェブで登録するだけで、あらゆる小銭の支払いに一割程度のポイントがつく。

ある日、そのポイントの有効期限がきたと連絡を受ける。

慌てて、使おうとするが、493ポイント。500ポイントからでないと使えないという。残り7ポイントを何か買い物しようか。

あれこれ調べかけて、ふと手を止める。

500ポイントといいながら、500円未満のものを手にいれるために、今から何かを買わないといけないのか。

品物を探して、見つけたサイトが別なら、そこと提携しているところにさらに登録をして、手元のカードの番号を入れて。。。

そうしてようやく500円のポイントで選べるものの中から、何かお得なものを見つけるチャンスにありつけるのだ。

ううん、二度手間。

お得感を見せようと、ポイント何倍とか、なんとか還元とか、チカチカした毒々しい広告を延々とたらい回しにされなければ、500円は手に入れらないのだ。

なんか逆に惨めな気分である。

フリクションの中身をくれた店舗とは、扱いがまるで違う気がした。

小銭はなかなか落ちていない。それでいいではないか。

2016年9月15日木曜日

大きなくしゃみの

口元は手で隠すが、ひどく大きな声を出して、くしゃみをする人をしばしば見受ける。

あるフリーライターの女性は、くしゃみが大きかった。

彼女が姿を消して、誰かが探しかけても、お手洗いからくしゃみが聞こえるので所在が分かったこともあった。小心なアルバイトの女の子は、彼女がくしゃみをするたびに、飛び上がって驚いていた。

なくて七癖というが、大きなくしゃみをする人は意外と自覚がない。

こちらも気にしなければいい。そうは思う。

ただ、図書館など静かな場所でそういう人に出くわすと、ものすごい存在感を見せる。当人の悪びれない様子がひときわ滑稽になる。

そういう時にふと思う。

こういう人と、盗みに入らないといけなくなったら、災難だろうなと。

まるで、ドリフのカトちゃんではないか。

そっと鍵を開けて、家主が寝てる部屋に忍び込み、枕元の棚に手を伸ばし、通帳と印鑑に息を殺して、そっと手を伸ばす。

その瞬間である。

「ひっくし!」

と力いっぱい、シャウトされるのだ。

いかりやならずとも、頭をはたきたくなるに違いない。

カトちゃんだから、笑えるのであって、彼以外が大きなくしゃみであれば、どうなるか。

よく考えてみた。

カトちゃんなみに、笑えるだけではないかと。

2016年9月13日火曜日

お腹周りの原材料

久しぶりにお替わりできる定食屋に。

おかずを半分残して、お替わり。残りの配分を考えてみたりと、充実の白ご飯ライフである。

隣に座った、かなり、どすこいな兄さんが、てんこ盛りの何かの唐揚げを前に、三度目のお替わりに立つ。おかず2対白ご飯8ぐらいのペースではないか。

お替わりの正体見たりお腹周り。

もうちょっと少なくしよっと。

2016年9月7日水曜日

十字架macbook

自分はmac book airのオーナーである。

周囲の羨望を余り几帳面に受け止めないことで、無駄なジェラシーを買わないように努めている。

mac book airを持っていると、マルチタスクにいろんなことができるし、ちっこいオフィスを持ち歩いている気分になる。

メールの確認? web検索? 書きかけのブログ記事の更新? ウェブクリップ? スケジュール追加? SNSのチェック?

それらを並行して、カンタンに終わらせることができるんです。

「そう、mac book airがあればね」

ただカミングアウトすると、ちょっと問題がある。

重い。

結構大きい15インチ。

バッテリは丁寧に、ほぼ毎月リフレッシュしているので、長持ちしている。だから、使い始めたら便利だが、使い始めることなく、疲れて帰宅してしまうと愕然としてしまう。

シグマリオンや、リブレットすら重いと感じていたのに、何をしているのだと。

ジョブズが封筒から取り出した時は、確かにびっくりしたが、彼はカバンにいれて長時間移動していなかったはずである。

OSXは快適だが、iosは信じない派であるが故の十字架である。

airより、もっと軽いmacbookは出ないものだろうか。そんなことをずっと期待していたら、CMが流れてきた。

ペン付き、i-pad pro。

保守的なごりごりなmacファンは一体どこにいったんだ。この憤懣を代弁してくれるんではないのか。

2016年9月2日金曜日

果てしなく長かったストーリー

エンデの『果てしない物語』がgoogleのロゴ(Doodle)になっていた。

出版37年のお祝いとか。

原作も図書館でなかなか借りられなかったりしたものである。

シンセサイザーに乗せた幻想的なテーマ曲、スターウォーズ以来のド派手な特殊効果(ふわふわのファルコはクレイアニメじゃない!)。

何よりもリフレインするタイトルが良かった。

原作を借りたものの、途中から映画と異なり、どんどん面倒くさくなって、挫折したのを覚えている。

「後半は本の世界に入ってしまったバスチアンが、自分の名前すら忘れてしまう話であって、映画みたいにいじめっ子をやっつけるようなオチとは無関係」

したり顔で友人に言われた。

ああ、そうなんや。なんか、難しそうやね。

テーマがいい。セリフがいい。ストーリーがいい。などなど、したり顔で語る人も見た事がある。

ううん、ますます気後れ。その点では『モモ』はごちゃごちゃ説教してなくて、楽しく読めた。エンデ・ファンにバカにされるんやろなぁ。

映画派を小馬鹿にする原作派。やっぱり感じ悪い。(のちに指輪物語でも同様のことを感じる)

いじめられた子供が、空想の世界で気持ちをリフレッシュして、現実に戻ってくる。映画のように、それだけの話でもいいではないかとも思ってしまう。リアルの世界だと、引きこもってしまう子供も多いのだから。(そこか?)

『果てしない物語』のハードカバー版は、現実のシーンと、空想世界のシーンでは文字の色が違う二色刷り。

大人になって気がついたが、それがどんだけ印刷会社にとって面倒臭いことか愕然とした。ページの途中で場面が変わるのだ。もちろん一枚ずつ印刷しているわけではないので、多ページのどこと、どこで色が変わるのか、全部管理しないといけない。

面倒臭いな。。。

そこまで苦労したのに、自分はブックオフで安く買ってしまった。

大人になると、素直にファンタジーの世界には入れなくなってしまう。

印刷コストへの敬意と、それを正当に評価しなかったような贖罪感。でも羨望。そしてあんまり先に進めない徒労感。

果てしない読書時間は、まだまだ続く。。。