2015年9月10日木曜日

アップルは禁断の実

上方落語の枕(本題の前の余談)として、こんな話を聞いたことがある。

祭で夜店を見て回っている少年に、中年のオヤジが声をかける。

声を潜めていうには、裸で二人が抱き合っている写真があるという。特別に格安で販売するという。人に見られてはいけないところで、密かに見ろという。

その特別価格で購入して、幾重にも油紙で包まれたものを、鼻息を荒く取り出してみると、その通り。

お相撲さんが二人、がっぷりと四つに組んでいたとか。。。

新しいi-phoneが販売されるかもという噂もあって、テストユーザーに選ばれたとメッセージを表示して、個人情報やカード番号を盗もうという輩がいる。

アップルストアに、端末の不調を訴えにいくだけでも、予約しないといけないぐらい、セキュリティや個人情報にうるさいappleが、どうしたことか。突然、テストユーザーを無作為に選ばないといけないほど、新作の端末に自信を失うのだ。そんな馬鹿な。

ダジャレも何もあったものではない。単なる詐欺である。裸で抱き合ってる、など、ふざけたことはいってくれない。

普段はAndroidを使っている人も、いざi-phoneが無料で手に入るとなると、色めきたつのだろうか。

警戒はしないのだろうか。自分も、macbookairが格安で販売されたと思って、詐欺にかかりかけたが、何よりも最初に疑ったのは、そんなに安くなるのはなぜか? である。

1000円で食べ放題なんて、まずいものしか出てこない。1万円でカニが食べ放題など、採算がとれるわけがない。(そもそも100円以下でうまいコーヒーが飲めるなんてこと自体、物理的に不可能なのだ)

我々西側の自由主義経済に生きるのなら、安いことを競争することも自由である。

だが、Apple製品は別だ。

中古の買い取りもそこそこな値段もする反面、中古販売でも結構いい値段がつく。決して安くはならない。法外に上乗せしようものなら、たちまち新品の方が安くなってしまう。そのぎりぎりをいつも堅持しているからこそ、ユーザーはあの食べかけのりんごマークに信頼を寄せているのだ。

しかし、それが突然、うっかりしてしまうのだろう。なぜか、自分だけが得することになる。しかし、そんなうまい話はない。宝くじはあたらないのだ。ちょっと深呼吸して、原価を想像すればカンタンにわかることなのに。

そして何よりも、Appleへの冒涜というより、Appleへの過剰な期待や、羨望がこうした詐欺を存在させることになるのではないだろうか。

Mac OSXは使いやすいが、普段、i-cloudは全く使っていない。gmailアカウントで十分足りるからだ。何より、(少々酷評だが)keynoteをお試しでクラウドでは使え、ローカルではフリーではないという商売の仕方は、まるで旗印ブランドのone noteを思わせるような仕様である。はっきりいって、失敗している。

Apple内部でも色々あるのだろうと想像される。それはブランドとして万能ではないことの証ではないか。それで十分ではないか。

無料でいいものなどない。それに近いものを求めるのであれば、FirefoxOSやUbuntoOSを探せばいいではないか。そこは省略して、という物臭で、詐欺にひっかかるようでは、あまりにも悲しい。

Appleは禁断の果実なのか。否。知識の樹であったがために、神を試すことを知り、あの二人は楽園を追い出されたのだ。試すこと、考えることの象徴なのではないか。逆によくいいすぎか。

Mac bookを使ったことがあればマウスではなくトラックパッドが使いたくなるハズ。。。

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