2016年1月3日日曜日

素人仕事

力士の四股名に、山とか海といった描写が多い。

もともと地方の力持ちを、宮廷の庭に招き、相撲を行ったのが、起源である。当然、地元の地名を取り込んで名乗っていた。地域の代表という意味もあったのだ。

古代のオリンピックも、各地から選手を集めて、練習の成果を競い合う祭典であった。

人類最初の娯楽は、ローカルのアスリートたちが努力を積み重ねることで、実現したのだ。

現代のボクシングも、様々なテクニックがあるが、黎明期においては単なる殴り合いであった。

ガタイの大きな男が、小さい男をリング上でなぐりたおす。グラディエーターのような世界であった。

しかし逆転が起こった。

体格差で劣る選手が、ちょこちょこと周りを飛び跳ね、不意をついて顎を殴ってくる。

最初は馬鹿にしていた、相手の大男は、ある瞬間、相手のグローブが飛んでくるを避けられなかった。次に気がついたら、マネージャーに抱えられて、マットの白さを眩しく感じることになった。

小柄な男が、大男を拳だけで倒す。ゴリアテが倒れるのを、目の当たりにできると、客席は沸騰した。

体重があるものが強いのではなく、普通の体重とスキルを持ったものが強い。ルールがシフトしたのだ。

現代のボクサーといえば、力石が絶食したように、ストイックの象徴でもあるのは、当然だろう。

ジャズがいいといって、何でも即興性やアドリブばかりを重視するのは、素人考えなのではないかといつも思う。

ジャズは自由だといいながら、実は音の出し方にルールはあるし、もちろんある程度の演奏スキルがなければセッションなど不可能である。

根性論で、怨念がましく修行すれば、何でもできる、というわけではないが、準備や下ごしらえなしに、何かを作ったとしても、それは決していいものにならない。

数年前から、動画配信サービスを使って、自前の動画を作っている人たちがいる。

見ていたテレビ番組と、見劣りしないような品質の動画を作ることができる。

しかし、内容はどうだろう。

混ぜたり、食べたり、投げたり。見せ場がまるでぬるい。

古代のオリンピック。円盤を投げるスキルの高い選手に、ひたすら練習させて、さらに遠くに飛ばさせるようにして、当日を迎える緊張感があったはずである。

素人仕事で作った動画に、それほどの緊張感があるだろうか。時間があっただろうか。

配信者自身が、そのことに薄々感付いて、いずれは配信に飽きてしまう。

そういうものなのではないだろうか。

見せるに足るもの。少なくとも、そう自問して準備されたもの。

結構、手厳しいが、見る側に立てば当然だろう。

決して、素人の動画配信が、既存のテレビを凌駕するようなことはあり得ない。理由は準備の手数を持つか否かだ。

(ちなみに、このブログもできるだけ、メモ書きを整理している。深夜に書き始めたものは、話題が散漫で内容も浅くなるので、アップしていないつもり。自信ないけど)

女性ボクサーらしきフリー素材。
ピンク色は闘争心を萎えさせる、という作戦が裏目に出てるぞ!


0 件のコメント:

コメントを投稿