申年だから、お猿さんのことについて。
アジアでもっとも有名な猿のヒーローといえば、西遊記の孫悟空だろう。
中国ばかりか、韓国や日本において、古くから親しまれてきた。
お師匠さんこと、玄奘三蔵は仏教史のなかで、非常に評価が高い。というのも、経典をサンスクリット語から翻訳する際、それまでの翻訳より、言葉を補って、ニュアンスを拾い上げたからである。
それまで、”誰でも”という表現に、”有”(存在する者)と表現されていたが、玄奘は”有情”(感情を持つ者)と翻訳して理解を深めることに貢献した。
詩的な才能に溢れた翻訳ディレクターであり、自らも翻訳家であり、自らインドまで走破した、筋骨隆々とした偉丈夫であった。
決して、なよっちい臆病者ではなかったのだ。
そんな玄奘になぜ、お猿さんの従者がついてきたのか。
海賊の頭目でもあるまいし、なんで猿なのか。
キンシコウという、毛並みのいい種類の猿がいるとか、南方熊楠のように『ラーマヤーナ』のハヌマーンという猿の神様がルーツかと思っていた。http://goo.gl/9ARAUu
しかし、昨年2014年、龍谷大学ミュージアムでの展示http://goo.gl/2IeQYGをみてわかった。
猿は人の真似をしたり、他の動物の面倒をみる姿がよく観察された。=厩舎の守り神として、猿の絵を掲げることすらあった。
つまり馬、移動手段の守護神として、猿が起用されたのである。
(玄奘以外にも、シルクロードを歩く取経僧という題材は、古くからあり、虎を釣れた僧侶という絵画も現存する)
お猿のキャラはほとんどが、人間の真似をする、おバカキャラなのに、悟空だけが玄奘を心配して、やきもきする。やはり守護神としての役割が基本設定にあるからなのだろう。
ちなみに、猪八戒=富の象徴。唐代の玄奘には馴染みがないが、元朝以降、遊牧民族の文化が流入して、猪(中国語ではブタの意味)は家畜であり、貨幣がない時代の富を意味する。西遊記自体が清朝に完成していくから、遊牧民族の文化が入っている。
沙悟浄=玄奘の道中を守った、仏教の守護神・深沙大将(ドクロの瓔珞を首にかけている)と、インドで問答したのちに、同行してくれるバラモン教の僧侶(子供のドクロの瓔珞を首からかける=人は生命力のある子供時代にも死ぬことがあるのはなぜか? と問う)のイメージが混ぜ合わせてできたキャラクターである。
流沙河(流砂河という記載で、緩い砂地であるのが、河と誤読されるようになった)で悟空たち一行と出会うが、川辺にいる妖怪というイメージで、日本でのみ、河童という設定になる。
単なるドタバタではなく、それぞれのキャラが文化的な背景を背負っているのだ。しかしそれらを反映しなくても、作品にはあまり影響しないし、関係ない。だから、人気なのかもしれない。
さらにいうと、大河ドラマになった真田幸村(本当は信繁)の家臣である、真田十勇士の一人、猿飛佐助も、悟空をモチーフに明治時代、立川文庫が作ったキャラクター。さすがに大河ドラマには出てこないみたいだけど。
(上方講談の講釈師が猿飛佐助の子孫という人を見つけて、印を結ぶように、寿司職人になっていたと高座で語っていた。まさに”見てきたような”類の話である)。
今年も、こんな感じで、だらだらと。
ヒンドゥ寺院のハヌマーン。彼が守っているのは仏教ではない。 |
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