2015年12月27日日曜日

バック・トゥ・ザ・フューチャー part2を見直してみた

一作目のラストで、ドクが迎えに来てくれる。


「マーティ、君たちの子供を助けないと。今すぐ一緒に未来にいくんだ」

わお。やっと85年に戻ってきたのに、さらに30年も先にいかないといけないのか。

彼女とトヨタの四駆(今では信じられないが、80年代の日本製品はビデオカメラも自動車も、世界で売れまくっていたのだ!)でドライブに行こうとしていたのに?

2015年。エメット・ブラウン博士が厳かに告げる未来は、途方もなく先に思われたのに、間もなく終わろうとしているではないか。

本国でもずいぶん盛り上がったらしい。

改めて、バック・トゥ・ザ・フューチャー part2を見直してみた。

映画の中で出てくるホバーボートは、開発が進み、テレビCMでも使われていた。商品化には間に合わなかったが、リアルにありえることは証明された。

立体ホログラムCMは実現せず、いまだに変なメガネをかけないと、立体の動画は見ることはできない。ナイキの自動リサイズシューズは年内の開発実現を公表されたのに、実現はできていない。道路を必要としないハイウェイは全く実現のめどすら立っていない。(60年代の映画『1980』では、通勤に飛行機が使われるシーンがあったはず。空にはライト兄弟以来、ずっと憧れるのだろう。多分、2045年でもタイヤがついた自動車に乗っているに違いない)

しかしネクタイを二本ぶら下げるという、おかしな服装はしないですんでいるし、グリフが逮捕される瞬間は、ドローンみたいなカメラで撮影されてUSATODAYに掲載されている。

驚いたことに、80'sカフェでかかっているマイケルの曲はビートイットだけで、デンジャラスやスムース・クリミナルは含まれていない。(映画自体89年公開だから仕方ないが)
当たっていることや、外れていることを並べてみるだけでも楽しい。

だが、反面、ショックも大きい。2015にきたドクは、デロリアンに乗らず、年を重ねただけであったこと。

マイケル・J・フォックスのパーキンソン病も、サブプライムローンも、ISも存在しなかっただろう 、もう一つの2015年はやっぱりフィクションだったこと。(もちろん、論理的にタイムマシーンは成立しないとする論文が発表されたことも)

マイク・マイヤーズ演じる『オースィン・パワーズ』で、60年代から冷凍保存されたオースティンが、90年代に目覚める。軍の施設のなかで目覚めた彼は、協力してくれたロシアの軍人を見てこういう。

「我々が勝ったんですね? やったぜ、くそったれの帝国主義者どもめ」

いや違う。冷戦で勝ったのは、西側なんだ。そう訂正されて、叫ぶ。

「我々が勝ったんですね? やったぜ、くそったれの共産主義者どもめ」

未来は今の延長でしかないのだ。感傷的な気分とは関係ない。何か特別なことがあって、突然よりよくなるなんてことは、ありえないのだ。

マーティたちの来なかった2015年。それも悪くなかった。ノストラダムスやマヤ暦の破滅が外れただけでもいい。

途方もなく輝く未来を夢想して、何もしないでいるより、ドクが言っていた可能性(「未来は自分で変えられる」)に賭けて、一つずつ努力することが、一番大事なのではないか。

柄にもなく、そんなことを思う。


引き出しをタイムマシンにして出てくる猫型ロボットの販売も遅れるかもしれない。

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