2015年12月5日土曜日

百の姓

香港映画のオープニングで、面白い表記を見た。

ロゴはPOP MOVIES。しかし漢字表記がいい。

百姓電影。

牛を引いてきたおじいちゃんが、編笠かぶりながらカメラを回す映画?

日本語で「百姓」といえば、農業従事者を指すことが一般的。しかし農業になぜ、「百姓」という名称がついたのか、明確に説明できる人はいない。

田を耕す、わらじをなう。畑で稲作以外の生産を行う。百通りほどの複数のスペックを持っているという説明は実は間違い。

逆に農人という言葉がある。大阪にも農人 橋という場所がある。

百姓=農業従事者であるなら、農人とは何を指すのだろうか。

網野善彦の説明で納得がいった。

農人=農業従事者。百姓=いろいろな職業や身分。

姓とは、家族や血縁の特定するためのものであったが、同時に職業という意味もあった。(公家や武家以外では、家業を指す屋号もその一種)

それがたくさんある状態=百姓=many peopleなのだ。
だから百姓電影という文字を見ても、稲作ののどかな風景を得意とする監督がいると思ってはいけない。POP な映画という意味である。

太閤検地か、それ以降であったと思う。人口を調査した際に、武家や 公家以外というカテゴリとして、様々な職業を百姓としてカウントしてしまった。これを明治以降、一律に農業従事者と翻訳してしまった。

そのため、百姓=農業従事者という簡単な誤解が一般的になったのだ。


明治以降、歴史解釈というのはいい加減なことが多い典型だろう。

特にロシア革命前後の権力闘争史観などは、諸大名や幕府の実態をろくに調べもせずに、帝政ロシアの諸侯と概念を当てはめて考えられた。(もっとも網野善彦も、小泉の進めた雇用の規制緩和のムーブメントに影響されたことは反証されるべきだろう)


百姓電影。田んぼでキセルを吸いながら一休みしている、おじいちゃんが映画を取っていると思ったら、大間違いなのだ。

棚田を作る日本人ってスゴいとかいうけど、日本オリジナルではない。これはベトナムの写真

0 件のコメント:

コメントを投稿