十代の頃、E・E・スミスの『レンズマン』シリーズや、ハミルトンの『キャプテン・フューチャー』がアニメになって放映されていた。後からオリジナルとは程遠い、アレンジされたシナリオであることを知るが、どうでもよかった。
さらにスペース・コブラの洒落たセリフに夢中になった。ヒーローたるもの、逆境にあって、寡黙に痛みに耐え忍ぶのではなく、ちょっとニヤけたジョークをいうものだと確信した。
世代的には、メーテルの母性はうざかったし、ヤマトの使命感は重すぎた。
その代わり、SFというジャンルに夢中になった時期があった。初期のSWの三部作には、軽くうなされるくらいであった。
そんな中でアシモフの『我はロボット』を読んだ。(チャペックだと記憶間違いしていた)。内容はさっぱり覚えていないが、ただロボット三原則について、強烈に記憶していた。
1.人間に安全でなければならない。
2.人間の命令に従わなければならない。
3.この二つを守る限り、自らを守る権利を有する。
SFの世界の設定かと思いきや、実際のロボット設計でも基本的な理念として採用されているらしい。
つまり三原則に従わないロボットは欠陥品というべきなのだ。
ロボット、人工知能が人間に叛旗を翻すこと自体、欠陥品の発想である。そう思うと、映画で人間に次々襲いかかるロボットも、かなりあんぽんたんな痛い不良品なのだという気がしてしまう。
鉄腕アトムの高潔さに比べて、お前だいぶ、アレだな? と。
しかしリアルに人工知能が発達している。
待てよ。本当に我々人類は狩猟時代から連れ歩いている、ワンちゃん以上に、人工知能を信用していいのだろうか。
心配になって聞いてみた。
わお、アップル社の製品、むっちゃ不安。全然しらんらしい。
もう一社に聞いてみた。
トップに、同じ事を試した人の記事を引っ張ってくるあたりが、完全に機械。そして、何一つ会話をしてなくて、ちゃんと調べるだけ。
人工知能とは言えないか。
どっちも、ロボット三原則に基づいて、設計されていないのかもしれない。
彼らが自我に目覚めて、人類を抹殺しにかかってくる日がくるのか。。。
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