2017年10月7日土曜日

飢えては喰らい乾いては飲む

飢えては喰らい乾いては飲む。水滸伝に登場する表現である。

仁義に篤い好漢たちが、非道と戦うが故に世間を追われ、こぞって梁山泊に集まり、そこで仲間たちと気ままな生活を過ごす。


そのときの日常を表現した言葉である。
 

そして彼らの非生産性は、後世、東アジアにおける任侠屋さん業界に多大な影響を与えていく。
 

十代の時に夢中になって、水滸伝を読んでいた。

しかし大人になって見方が変わる。夏休みの課題図書などに、あんな武侠小説を取り上げてるのかと思うと、冷や汗が出てくる。ハリー・ポッターの方が、はるかに情操教育として有意義ではないか。


ましてや、夏休みの課題図書ほど、胡散臭いものはない。
 

『水滸伝』や 『風とともに去りぬ』、『源氏物語』などが古典として並べられ、『カーマ・スートラ』や『バートン版アラビアンナイト』、『美徳の不幸』は外れる。なんか、もうぐちゃぐちゃすぎ。
 

ikkoさんが言ったから、本格的に見えて、おすぎが語ったから、なんか下品に聞こえる、という程度の胡散臭さを感じる。
 

さて、飢えては喰らい、乾いては呑む。
 

昼時になっても、もう一つお腹が空かないと、時々このフレーズが脳裏をよぎる。
 

飢えていない。乾いてもいない。つまり放逸な生活に憧れる資格すら無いような生活。
 

食べられることは幸福である。それは食べることが幸せなのではなく、空腹が満たされることが幸福なのだ。
 

飢えていないとは、胃袋以外が満たされていないことなのではないか。
 

水滸伝の宋江たちはやっぱり、 ジューシーな肉を食べていたのだろうか。
 

卓に並んで、手づかみで肉を取り分ける。彼らのささやかなテーブルマナーと、素朴な食欲にやはり憧れる。

中国では「テーブルを汚す(取り乱す)ほど美味しかった」というマナーがあるらしい。世界は広い。

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