2016年2月24日水曜日

そういえばnetfilxでベター・コール・ソウル2stシーズンはじまってた

前回、『Netflixで、ベター・コール・ソウル(ソウルに電話しよう!)を見始めた』という記事を書いた。

そのセカンドシーズンが始まっている。

前シーズンが、ジミーの歌う鼻歌、スモーク・オン・ザ・ウォーターでカッコよく終わったが、その後からどうなるのか。

燃え尽きたように、プールで浮かび、しょぼい詐欺まがいをして、飲み代を踏み倒すことでぼんやり過ごす。

本編にも登場した、デイ・トレーダーのケンをひっかけて、高級な酒を飲むぐらい。

一瞬、楽しいが、それで埋まらない気持ち。

そして、ブールサイドの細い足のお姉さんが、ブランド物を着ただけのデブなオヤジと連れ立っているのを物欲しそうに眺める。

そうだ。自称ケビン・コスナーこと、我らがジミーは決意する。やっぱり稼いで、旨い汁吸いたいと。

第2話の配信も始まっている。何をしていても、退屈そうなマイクも健在で、トゥコの影もちらつく。

色々トラブルがあるが、それなりに機転を利かして、やりくりしていく。全く爽快感から程遠いドラマである。 エミー賞にノミネートされたが、逃した。華々しく評価されないところが、またいいではないか。

若く、美しいヒロインや、端正な顔立ちの男の子は出てこない。

しかめっ面したおっさんと、苦い顔したちょっと前のヒロインである。

兄とのわだかまりが解決していないときに、マイクから声がかかる。

「倫理感はゆるめか? 頼みたいことがある」

老人ホームの集団訴訟に備えるより、小悪党をなだめて、警官を言いくるめるときのほうが、皮肉も生き生きしている。

G was hire(ソウルグッドマン参上)

多分、キムにも振られるんだろうな。最後は失望されて、別れることになるんだろうな。見ていて、何となく感じてしまう。

そのあと、厄介なクライアントのせいで、ガス・フリングに命を狙われそうになったり、DEAに捕まりそうになったり、逃亡専門業者に、リセットを頼むことになるんだろうな。

ただ、そうはいっても、複合施設のシナモンロール店の店長として、汗水垂らして生活していく未来はあるのだ。ハイゼンベルクと恐れられ、最後は銃弾に倒れるようなことはないのだ。

そこまでの長く、華やかさにかける日常。

やはり愛さずにはいられない。

2016年2月21日日曜日

陰謀ない説

ロズウェル事件で発見されたのは、実はソ連の核実験を監視するための観測用気球であったことが、確認された。

しかし当時、最高機密であったため、軍部は気象観測の気球と発表せざるをえなかったし、現物も隠した。

そのため、宇宙人の乗り物をアメリカ空軍は密かに開発しているという、いまや定番の都市伝説が仕上がってしまったのだ。

現代では資料映像で見る事ができる、ステルス戦闘機も、開発検証段階では極秘である。それを隠すために、逆にUFOブームを借りた節すらある。

陰謀は意外と、存在しない説の方が、実は面白い。

スマホが一般的に広く使われる。

そこで入力した個人情報は、何か悪い人たちが悪い目的にために収集され、悪いことに使われる。

そういうことに怯えて、ガラケーを使っている人もいる。(ガラケーの電磁波が危ない話はこの際不問である)

スマートフォンを使うと、情報が漏洩する。どこかで悪いことに使われる。そんなイメージが先行していた。

ところが実際はちょっと違った。

appleは2014年12月にApple Payでは、顧客の情報を集めないと宣言した。

そして今回、テロリストのi-phoneを押収したFBIが、appleにバックドア(抜け道)アプリを開発しろとオーダーされて、それを拒否しているというのだ。

これにgoogleやtwitterも続くだろうという予測もある。

現実には情報を盗み取る悪徳業者が、そうしたアプリを密かにダウンロードさせて、収集しているだけで、大手が印象を悪くして、翌日の株価に影響するようなリスクは犯さないのだ。

今回、司法への協力といえるかどうかなど、議論の余地は残されている。

しかし少なくともいえることは、そんなにappleが世界制覇の陰謀を持っていないことだ。

市場拡大や、パクリや、apple musicのプロモーションには腐心するが、個人の通話記録や購入履歴をいちいち収集しても、大した儲けにならないと判断しているのかもしれない。

某大学の電車広告を見た事がある。

ドローンがたくさん飛び回り、超監視社会がやってくると予見している、おどろおどろしいものであった。

本当だろうか。

ホームレスのおっさんが凍死したり、生活保護として支給された金が遊興に使用されたり、高校生の教室に冷暖房が完備されて成績が良くなっているのに、実施した市長が福祉を怠るつもりだと難癖つける政党がいたり、と今でも、全然監視できていないのに。

なぜか、ドローンの登場で有権者を監視するのだ。

それによって、歩道の段差が転びにくく改善されるならいいではないか。年配の方も安心して歩ける街並みが増えて、児童・生徒が安心して遊べる場所が増えるなら素晴らしいではないか。

無目的に、とりあえず国民を監視する。地方も政府も、そんなに呑気なのか? そんなにサイコな連中ばかりなのか?

陰謀ない説のほうが、むしろリアリティはないか?

appleですら、FBIの無茶ぶりに憤慨しているし、IT業界もそちらに傾くだろう。結果権力VS個人の自由という図式である。

もちろん、陰謀説はある。

FBIも怒っているらしい。appleがわかっていて、ポーズを取っているのではないかと。

「ユーザーの表現の自由のために、勝手になんでものぞき込めるようなものを作ることは、我々にはできない」

appleの説明の方が、圧倒的にかっこいい。apple musicは買わないだろうが、何かの弾みに他のものを買うかもしれない。よお、ヤンキー。あんた、俺たちの味方なんだって?

そう。ここまでが、陰謀説であった方が面白い。
好きな陰謀説の一つは、アポロ計画捏造説。
NASAがレーザー反射鏡を月面に”本当に”置いたことは、
イギリスやフランスでも確認されてしまった。。。


2016年2月15日月曜日

ピクトのある世界

明治時代の笑い話。

日本人はテーブルマナーを知らず、音を立ててスープをすすった。味噌汁の感覚である。

それを茶化して、イギリス人やフランス人は嘲笑していた。最近まで刃物を持ち歩いていた野蛮人が、ほら、洋服をきて文明人気取りだぜ、と。

トイレにもmanと、womanと書いているのに、読めないと嘲笑の対象となった。留学した日本人も読めないで恥をかく。

ところが、第二次世界大戦後、しばらくして、トイレの表示も、象徴的な変化が起こった。

1964年の東京オリンピックで採用された、男女のトイレの標識は言葉を必要としないピクトであったのだ。

文字が読めるかどうか、ではなく、伝わるかどうか、に問いがシフトさせて見つけた結果である。

現代世界中に見ることができる、男女の違いを表すピクトや、非常口を示すピクトなどは、全て東京オリンピックが起源なのだ。

言語が通じないから、意思が通じないというだけでは、世界は決して広くない。

旧約聖書に登場する、バベルの塔の寓話。

人間は思い上がり、神に近づこうと塔を建てて、神の怒りを買う。そこである日を境に言葉が通じなくなり、塔の建造が続行できなくなったというのが、旧約聖書の考え方である。

人類にこれだけ言語があるのは、いわば原罪であると。アダム以来、お決まりの”神に並ぼうとした罪”である。

しかし東京オリンピックでは、それを工夫して乗り越えてしまった。

神が罰して、言葉が通じなくしてしまったとしても、創意工夫で情報を伝達してしまったのだ。

そして今や、それは世界標準である。もし現地の言語でしか、男女のトイレの違いを表示していないところがあるとしたら、それはむしろ文化的に立ちおくれいることの象徴と受け取られることだろう。

優しくない文化は、遅れた文化なのだ。

ピクトを見かけると時々思うのは、そうした強者と、弱者という、牧歌的な二元論が、実はなんの役にも立たないことである。

分からない人に、より伝える。

心遣いは文化であり、文明なのだ。
トイレでなんでwifiをそんなに使いたいのか。


2016年2月5日金曜日

結局のリフィルバインダー

文具好きの人と、しばしば自薦の手帳について話をする。

万年筆インクに耐えるだけの紙なのが、製本がしっかりしているのか。サイズは適切なものを選べるのか。コストパフォーマンスは妥当か。

一時期流行ったような、モレスキンをいくつか試してみたが、意外に行き詰まってしまった。

紙に随分ブレ幅が大きく、紹介するムック本などを見れば、中身をくりぬいてスマホケースが作れるなど、ふざけたことが掲載されていたりする。

ファッションとしての、文具。まるで、おしゃれなデザインだが、長時間使用に堪えられない、国産ノートパソコンみたいなものだ。つまり、使うこと目的にしていないおもちゃ。

そういう意味で、いくつも考えてしまう。文具店で結構時間を潰してしまう。

A5サイズの折製本ノートと、それを複数冊収めることができるカバーというものを、何回か試す。

使い勝手がいいな、と思い始めると、必ず店頭から消える。

36穴バインダーと同じピッチのパンチ穴があいた、ミニルーズリーフを使ってみる。

あっという間に、店頭から下げられていく。

新製品を色々試して、結局どれも裏切られる。

こんなに回転が早くていいのだろうか。ユーザーが長く安定的に使っていくことができるものとはないのだろうか。

黒澤明の原案ノートを、影印本のように出版しているのを見たことがあるが、コクヨのB5ノートであった。

結局、昔ながらのものが、安定的に供給されていることは事実である。

そうした中で、最終的にたどり着いたのが、6穴リフィルバインダーである。

もっとも安定的に、紙が供給されているし、国産の上質紙はいつでも入手できる。

(特に最近では、http://www.lihit-lab.com/products/catalog/N-1608.html

分厚いシステム手帳を持ち歩いたり、大きなサイズのものをカバンの中に忍ばせるより、6穴バインダーサイズ(バイブルサイズというが、このサイズの聖書は国内であまり見たことがない)ぐらいが丁度いい。

第一次世界大戦で、記録をシェアするために、ページを出し入れできるものとして、これらシステム手帳が発明されたらしい。

それなのに、日本で6穴リフィルバインダーが登場したのは、1984年なのだそうだ。

(それまでは製本された手帳しかなかったにちがいない)

もっと古くから存在すると思っていたが、意外に新しいものだった。

これ以降、システム手帳なるものが、主流になり、多くつくられるようになる。

こうしたものの、代替案を探していたが、結局、これが一番いいのだ。

斬新だったり、目新しさだけのものは、文具においては特に廃れ易い。

スマホ用のポケット付カバーみたいなのをみると、
なんとなくしんどくなる。

2016年2月1日月曜日

Ninja and pencil

 真田幸村が大河ドラマになっているので、思い出した。

 忍者と鉛筆の関係は深い。

 何も忍者が鉛筆を使ったり、発明したのではない。(近年の研究では、江戸時代の日本における自然科学は、忍者の秘伝書にルーツを求めることができるのだとか)。

 桂文珍氏が指摘しているように、江戸時代まで落語といえば、寄席で語られるものであり、テキストにされることはなかった。

 現代のような製紙技術がなかったため、紙が高価(白紙が贈答品になっていたのだ)であったこと。それに加えて、速記するための手段がなかったこと。

 つまり噺家がしゃべることを、筆で書き起こしていたら、墨がなくなり、正確に記録できなかった。噺家自身も提供せず、ライブで話すことを真骨頂としていた。

 そのため、テキストとして残されているものの多くは、ダジャレを含んだ小噺しか残されなかった。幕末・明治の三遊亭円朝が速記法を取り入れ、テキストに起こしたといわれている。

 つまり文字データとしての落語は、近年はじめて確立されたものであるのだ。

 こうして、落語が鉛筆と速記法によって、活字になり、その書籍が売れるようになると、講談もテキスト化される。いや、書き講談という、書き下ろし作品が誕生する。

 こうした中で古典的なヒーローだったのが、真田幸村(信繁)であり、そのスピンオフとして登場したのが猿飛佐助である。

 猿飛佐助は全くのフィクションで、大正時代に大阪立川文庫がつくったキャラクターであったが、たちまちメジャーになる。

「ええい、一体何奴じゃ。名を名乗れ!」

「我こそは真田幸村が第一の郎党、猿飛佐助幸吉なるぞ」

「なに、あの高名なる忍術使いか! 出会え、者共、出会い候え!」

 実在の忍者・服部半蔵が、半蔵門という地名以外には史実に多く登場しないのに対して、佐助というフィクションは、「有名な忍者」という矛盾を蹴散らして、大正の日本でリアルに知られるようになる。

 現代の日本やアメリカで作られた、忍者のイメージは江戸時代初期に書かれた『萬川集海』に描かれた伊賀者でもなければ、説話に見られる果心居士でもない。

 ショー・コスギが演じた黒いコスチュームの、派手な忍者であり、モチーフには猿飛佐助がいた。


 そしてそのルーツには、皮肉にも筆ではなく、鉛筆の輸入によって実現した、速記によるポップカルチャーの台頭があったのだ。

 何の役にも立たないトリビアである。

鉛筆をナイフで削ると、右脳にいいとか、集中力が高まるとか、
不思議なおまじないを、一体誰が言い出したんだろうか。