2016年11月9日水曜日

二条城行幸図屏風のデジタルデータを見てみた

二条城行幸図屏風とは、徳川家光が後水尾天皇を二条城に招待したパレードの模様を描いた絵画。

絢爛豪華が魅力なだけではなく、その造型の深さが深淵で飽きない。

祖父家康によって徳川幕府は、慶長二十年(1616)に諸国の大名を取り締まる武家諸法度とともに、禁中並公家諸法度を発布した。

つまり鎌倉や室町の幕府が実施できなかった、立法権を朝廷から幕府に移譲させたのだ。

このあと、二百五十一年後の大政奉還までは、名実ともに行政府は江戸幕府になった。(だから幕末に幕府が朝廷にことわりなく不平等条約を結んだという、倒幕派の主張はテロリストと同じ屁理屈)

いわば天皇や公家の権威と伝統は認めるが、権力を剥奪する。そう決定して間もない頃に、孫の家光が、剥奪された当人の後水尾天皇をゲストに迎えて接待するのだ。

それもただのパーティではない。

会場の二条城は足利尊氏の居宅を起源にした、幕府の公式施設であり、新将軍がホストとして迎えるのだ。

実質の権力を握っておきながら、最大限に天皇と公家の権威をヨイショする必要があったし、そのパフォーマンスが派手であればあるほど、伝聞は全国に広まっていく。世論を形成し、地方の小金持ち大名が変な気を起こさないようにするのだ。

当然、絵画記録としても、贅をつくし、レア感を出すことで、「今度の幕府はハンパない」印象を形成できるのだ。

当時の為政者がいかに苦労して作ったのか。何より鳳輦(天皇の乗り物)の表現が驚く。屋根に漆を使って、エンボス加工(浮き出し)を施し、その上から金を塗って、立体表現をしているのだ。(油絵ではないのに、油絵のように立体的になっている)

全体として、とにかく観衆のディティールが細い。衣装、髪型、持ち物にいたるまで、細い描きこみに加えて、戯画的な表情豊かさに圧倒される。後世の北斎漫画や、現代のマンガ文化の起源ともいえるだろう。

90年代以降、絵画作品も史料として研究される、いわばしぐさの歴史などは、こうした絵画を研究するものである。

しかし従来に比べて、研究が遅れてきた理由は、テキストデータの史料に対し、絵画は閲覧が困難であることが多いためだ。書籍なら、机に開いて閲覧できるが、軸や屏風となると、取扱が簡単ではないので、閲覧の準備が必要になる。

こうした宿命的な弊害を、今回の第18回図書館総合展に出展していた、西華デジタルイメージ株式会社はクリアした。高精細なデータとしてスキャン。実物を目を凝らして見るより、拡大表示してみることができる。

オリジナルはオリジナルの良さがある。当然である。しかしそれはレンブラントや狩野派を愛好する人たちがいうことであって、学術研究としてオリジナルを閲覧しないと、分からないというのでは狭量がすぎる。ビートルズを語るのに、LP販でないと、ジョンの正確な声が聞こえないから、いい批評が書けないといっているようなもので、森が見えていない。

むしろ、鳳輦の陰影表現はデジタルデータでしっかり確認できるのだ。


デジタルデータ万歳ではないか。