帰途、満月を見ながら、ふと思いついたこと。
古代の中国では月のクレーターを兎に見立てたのは、やはり月が白く光るからだったのではないか。
染色体異常ではなく、結構な頻度で白い毛並を持つことが多いのは兎だった。
だから、太陽の黒点はカラスに、月の白い光とクレーターは兎に、例えられるようになる。
もちろん、鑑賞ばかりではない。天体の運行は農耕に直結する。詩歌に通じた者は、天体の予測ができ、田植えと稲刈りをプロデュースできる存在として、権限を持つようなる。日知り(聖)である。
だから陰陽道の極意書も金烏玉兎集というタイトルである。金烏=太陽。玉兎=月なのだ。(正確には三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集)
コンビニのレジ横にある、月餅はまさに、中秋の名月と豊穣を表現した縁起ものである。農耕の象徴だろう。騎馬民族モンゴル帝国が中国を支配したとき、漢民族がクーデターを企て、その決起を呼びかけたのは月餅に隠した御神籤だった。
騎馬民族にない風習だから、クーデターは成功し、明朝ができる。ツイッターがなかった時代の、アナログな呼びかけである。
政治史でいうなら、日本の神様は結構がっかりな展開もある。
日本の神話の中でも、神代の早い段階で、月読命が登場する。しかし天照大神と姉妹に設定されながら、弟スサノオのキャラが濃すぎて、名前以外、出てこない。性別すら記載がない。
どうも神話がそれまでの口承文芸ではなく、テキストに起こされた段階で、日本人が考案してた月読み(天体運行予測)は、中国から流入してきた精度の高い暦法に圧倒されて、廃れていたと考えられる。
しかも天照大神が昼の世界、月読命が夜の世界を、司るという設定であったのに、あっさり退場。そのかわり、国譲りした大国主命が夜の支配権を譲渡される。
そのせいか、月は室町時代のかぐや姫まで、そんなにフォーカスされることはない。
世界的に見ても、月は時間を象徴するだけではなく、海の干満を左右する不可視の力をもっていると信じられていた。(万有引力が法則として認識される前である。)
ビュルガーの『ほらふき男爵の冒険』では、月は海水を引き寄せていると描写される。もっとも沖に出ると、船は月に吸い寄せられ、男爵は月に飛び移ることに成功する。荒唐無稽だが、イメージの力である。
しかしバカにしてはいけない。
NASAでは、ある矛盾にぶつかっていた。探査衛星の軌道修正に、液体燃料を使用するのであれば、膨大なエネルギーが必要であり、それを実現するために、一層打ち上げに燃料が必要というのだ。
そこで考えられたのが、衛星や惑星にわざと接近し、その引力を利用して、軌道修正しようというのだ。男爵とアイデアは同じなのだ。
もちろん、伝承では飛躍がある。
狼男に変身させるのは満月であり、黒魔術も満月の夜に行うと成就しやすいと信じられた。
ニューヨーク市警では満月だと犯罪率は上がるというデータが、まことしやかに唱えられていた。(もちろん、衛星の照射のされ方と、人体への影響への因果関係は不明。というか、科学ではない)
初期タントラの密教では、自らの心を満月にたとえる瞑想がある。満月のように、自らの心も丸く、白く、輝いているということを、体感しようとするものだ。月のエネルギーはこのぐらいがちょうどいいのかもしれない。
「月がきれいだな」
とは昭和初期までは、社会的に公認された比喩表現だったらしい。 意味はI love you.
婚姻を匂わせる表現でもあったらしい。
月が高い位置に出ている=夕方から夜の時間に密会している=肉体関係の隠喩。
現代ではちょっと分かりにくい。月にかわる灯が多すぎるのではないか。
実際に月光に浮かぶウサギを撮影したら目が光ってるはず |